<Monsanto>
”ポルトガルで一番ポルトガルらしい村”のフレーズに惹かれて行って来たのが、この
Monsanto モンサントの村です。この山村のイメージは石と岩。山肌にしがみつく様に
家々が連なり、そこにあった自然の大きな石をそのまま家の壁や屋根に使った家など
興味深かったです(モンサントの岩の家は次のページで)。
それにしてもどうして、こんな不便な所に家を建てたのでしょうかね?山の僅かな場所に、
へばり付く様に、そして大きな岩と共生するかの様に建てた家。麓を見下ろすと、平地は
いくらでもあるのに。スペインの国境近くの地理的要所、城塞だったと言う事も有ったので
しょうが(実際、敵の攻撃の際に、まだまだ余裕がると言う事を見せつけるため、敵に
向かって牛を投げ落としたとか。その戦いれを記念して毎年5/3に十字架祭(Festa das Cruzes)
と言うお祭りが開かれる様になったそうです。)、それ以外にも巨石信仰等の影響も有ったと
言われている様です。確かにモンサントの村は十字架が多いですし、このモンサントの山は、
遠くIdanha-a- Velha イダーニャ・ア・ヴェリャからも望めますが、その異質な形状は一目瞭然。
山その物や、巨石が信仰の対象になっていたのかも。
またタクシーでの帰り道、運転手の爺ちゃんが、山の麓の礼拝堂に寄ってくれました。周りに
何も無い所に建つこの礼拝堂、そしてその周囲には半球状の岩や岩の上に建つ祠など。
ん〜、きっと何か由緒正しい場所なんでしょうね。どうも、13世紀に建てられたローマ時代の
礼拝堂で、デニス王に関係が有ったりと様々な伝説がある、この周辺で最も神聖な場所の
一つの様です。そう言えば、モンサントは、ケルトやローマ人との戦い、テンプル騎士団等、
の関わりも有ったとか。やはりこう言うのはしっかり調べて行かないと駄目ですね。
モンサントは、ポルトガル政府指定の Aldeias Historicas de Portugal 歴史的村々に指定
されています。人口100人程度の小さな村で、山頂のテンプル騎士団の城跡(19世紀に爆発
事故で廃墟に)やポルトガルの初代国王アフォンソ1世が建設したサン・ミゲル教会へと続く
山道には、羊や山羊達の姿もみかけます。山頂からの景色は抜群なので是非登ってみて
ください。日中はそこそこ観光客も居ますが、日帰りの人が多い様で夕方には静かに。
城壁から綺麗な夕日を独占♪村にはPousada ポザーダがあり、泊まりで行って来ました。
やはり泊まりだとゆっくり出来ますし、何より夕日が綺麗でした。
ポザーダ。今はポザーダグループから離脱している模様。営業はしていましたがサービスは、
「う〜ん・・・」と思う所あり・・・。離脱してサービスが悪くなったのか、悪いから離脱させられた
のかは分かりませんが。
遠くイダーニャの村から望む 山岳地域らしい石積みの家 モンサントの村並み 山あいにひしめきあう 夕日に包まれる村 山の麓にある礼拝堂と岩の上のほこら
(Sao Pedro de Vir a Corca)
霧の中に浮かぶ塔 狭い土地にひしめき合って テンプル騎士団ゆかりの村 秋空の下のルカーノの塔 山頂の城跡 見上げるとお城が 村の民芸品
Marafonasと Adufe足長おじさん
お人形さんは、Marafonas マラフォナシュと呼ばれている、目や口の無い布製の人形です。
この伝統的な人形は豊穣の女神の象徴で、新婚夫婦のベッドの下に置くとか(見ざる、聞かざる、
しゃべらざる)。またこの人形もムーア人との戦いに遡る歴史があり、ムーア人に城を囲まれた時、
村の女性がこの人形を並べて幸せだと言う事を伝え、それを見たムーア人は諦めて引き上げた
との事(どこかで聞いた話だな。↑牛の話)。
四角いタンバリンは、Adufe アドゥフェと呼ばれる山羊の皮を貼られたモンサントの伝統的な楽器
で女性だけが演奏したとか。今でもモンサントの村祭りで、Montemuro モンテムロと呼ばれる仮面
と一緒に使われているそうです。そう言えば、この楽器、買ってきたんだけど、その後どうしたかなぁ。
(Monsanto モンサント)
さらに・・・
Ola!Portugal 与茂駄(よもだ)とれしゅ から
・モンサントのウマイもの ←鴨ご飯がウマイ。鳩ご飯も?!
・「世界の住まい大図鑑」にポルトガルの写真を提供♪ ←ポルトガル編として岩の家モンサントが紹介。
Bonito★ぽるとがる から
・モンサントのカワイ子ちゃん ←村のおばちゃん手作りの伝統工芸品